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2009年1月 6日, 火曜日

「Yes,We can!」

分には投票権もないのに気になって仕方がなかった。それなのに初めてのアフリカ系アメリカ人が本当に大統領に選ばれるのか、白人が本当に黒人に投票するのか、その行方から目が離せなかった。アメリカが人種差別の壁を乗り越えることが出来るか、それが私の最大の関心事だった。リンカーン大統領によって奴隷制度は廃止された。しかし、その後も差別は消えなかった。民主主義で自由なアメリカ。しかし、深層には人種差別という深い傷が残っていた。
私はそれを実感したことがある。ヘアーというミュージカルが日本で上演されたとき、私はその中の一人の出演者だった。そこにアメリカから来た3人の黒人が加わった。私は音楽をやっていたのですぐに彼らと仲良くなった。ある日、移動のためにタクシーを止めようとした。いくら手をあげても一台のタクシーも止まってくれない。そのうち彼らは「お前一人で行け」と私から離れようとした。訳を聞くと、自分たちが黒人だからタクシーが止まってくれないんだ、と言う。私は本当の理由を知っていた。当時、私は肩まで伸びたロングヘアーだった。その時代にはそんな異様な人を乗せてくれるタクシーなんてなかったのだ。しかし、その時に彼らの心の中に深く残っている差別に対する傷があることを知ったのだった。

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ーチン・ルーサー・キング牧師によって導かれた公民権運動が実を結び、遂にアメリカが公民権法を制定したのは1964年の事だ。それはわずか44年前の出来事だ。そのキング牧師の最後の演説はまるでモーセのような演説だった。「神は私が山に登るのを許され、 私は頂上から約束の地を見たのです。私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、 ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。」しかし、この演説の1週間後に彼は暗殺されてしまったのだ。
そのアメリカに始めて黒人の大統領が誕生する。モーセの時代からヨシュアの時代へと、時代の流れには確実にチェンジが起こっている。

ーセはエジプトで同胞が虐げられているのに我慢が出来なかった。キング牧師は肌の色で同じ人間が差別を受けるのが我慢できなかった。私はキリストの体である教会が社会に対して何の影響力も持っていないことに我慢が出来ない。「Yes,We Can」に同調した人たちは、様々な形でそれを行動に移した。今、教会にチェンジが必要だ。そしてそれは信仰によって行動するなら必ず出来るはずだ。私たちも行動しなければ。

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