2008年6月 3日, 火曜日
「隠れているものがあらわにされる」
沖縄での「ライジングサン」完成記念セレブレーションに行ってきた。その沖縄へ向かう機中での事だ。機内誌を読んでいたら、その中に興味深い二つの記事が目にとまった。一つは「日本の開国はペリーの琉球来訪から始まった」という記事だ。私はペリーの来訪は浦賀と記憶していたので、「え!沖縄に!」と目を疑った。次の日、その本に紹介されていたペリー上陸の記念碑がある外人墓地がホテルの近くだったので、朝の散歩がてら自分の目で確かめに行ってきた。石碑にはペリー沖縄来訪が1853年6月6日となっているから浦賀に上陸した同年の7月8日よりも前に沖縄に上陸していたのだ。ペリーの来訪がきっかけとなって日本は長い鎖国時代から開国へと扉を開く事になったのだが、ペリーは日本の開国のために沖縄を基地と考えていたらしい。私はかねてから沖縄に特別な思いを持っていた。日本で一番教会が多く、クリスチャン人口も多い。教会間の交わりの広さや協調性など日本の他の地域では見ることが出来ない麗しさが沖縄にはある。だから私は沖縄に魅力を感じていたのだ。日本の開国のきっかけとなった黒船来訪の基地として沖縄の存在があったことを思うとなぜか胸が熱くなった。終戦後、沖縄に基地を設けた米軍も沖縄を「キーストーン(要石)」と呼んでいたらしい。「ライジングサン」という日本発(初)の世界に向けたワーシップソングが沖縄で生まれたのも霊的な意味があるのかも知れない。
もう一つの記事は「囲われたエデン」という造園家涌井史郎氏によるエッセイだ。彼はクリスチャンではないらしいが、ふとしたきっかけから茶道と天主教(当時のキリスト教)の関係に興味を持つようになった。そして安土桃山期に日本を席巻した天主教が、その時代の文化芸術を大きく突き動かしたのではないか、と想像を巡らしたのである。そうであれば彼の専門ジャンルである庭園にもその影響が見られるはずと京都の大徳寺を訪ねる。そこには利休七哲の一人でありクリスチャンでもあった古田織部による灯籠がひっそりとたたずんでいた。織部は灯籠に新しいデザインを持ち込んだと言われる。織部はこの灯籠の中に彼の信仰を持ち込んだのだ。そんな記事であった。折しもこの興味ある二つの記事が一冊の機内誌に掲載されていたのだ。聖書には「隠れているもので、あらわにされないものはない」と記されている。意図的に日本の歴史から抹消され覆われたキリスト教の影響が今あらわにされつつあるのだ。