2004年8月16日, 月曜日
『ブルーローズ』
一面のラベンダー畑、一面のチューリップ畑、一面のひまわり畑・・・こんな風景にあこがれて観光客が集まる。確かに写真や絵葉書で見る一面の花畑はきれいだ。しかし、それはとても不自然な光景でもある。
“ブルーローズが完成した”というニュースが駆け巡った。今まで不可能の象徴のように言われてきた青いバラを、バイオテクノロジーの力によってついに可能にした、というので話題になった。しかし、ブラウン管で見るそれは、紫色のバラにしか見えなかった。ブルーローズが商品化されると、数億円のビジネスになるのだという。
「私は絶対に生徒を叱ることが出来ない。なぜなら子供たちはみんな『花の種』だと考えているからだ。どんな花の種でも、植えた人間がきちんと育て、時期を待てば、必ず花を咲かせる。これは子どもも全く同じで、親や学校の先生、地域の大人たちやマスコミを含む社会全てが、慈しみ、愛し、丁寧に育てれば、子どもは必ず美しい花を咲かせてくれる。」
水谷修という夜間高校の教師が書いた『夜回り先生』(サンクチュアリ出版)の一節だ。
彼は横浜でも有数の受験校で教師をしていた。ある時、教師仲間で夜間校の教師が彼に言った。「寿司だってネタを選ぶ。腐った魚じゃうまい寿司は握れない。教育もそうだ。腐った生徒にいい教育なんて出来ない。」彼はこの言葉にキレた。「魚は勝手に腐るが、子どもは絶対に腐らない。それは誰かに腐らされているんだ。そういう子どもたちを救うのが教育じゃないか。」・・・そして彼は夜間高校の教師になった。夜間高校の授業が終わるのは夜9時、さらに部活が終わるのは10時半。生徒にとってはそれからが放課後だった。彼らは深夜の繁華街や公園へと遊びに出かける。そこで生徒たちを早く家に帰そうと『夜回り』を始めた。そこで彼は現代社会が蓋をして目を反らせてきた花の種に出会い、彼らのそばに自分の居場所を見つけた。
彼によって多くの『花の種』が救われた。しかし、彼は救われたのは自分だと言う。「私は子どもたちから生きている事の素晴らしさ、誰かの為に何か出来る事の喜びを教わった。」
花の種を慈しみ、愛し、丁寧に育てるという事は、紫にしか見えないブルーローズを造りだすよりも、何と感動的な事じゃないだろうか。