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2001年11月 8日, 木曜日

『関心を持とう』

chus_0111.jpg界を震撼させたあの同時テロ事件からもう一ヶ月以上経つが、新聞からテロ関連の話題が消えることは無い。ニューヨークのシンボルとして摩天楼にひときわ高くそびえていたワールドトレードセンタービルは巨大な瓦礫と化し、今も尚燻り続けている。そこにはまだ4千人以上もの人が、失われたままでいる。
くり返しテレビに映し出される旅客機追突の場面、ビルが崩壊する場面は余りにも強烈だった。その映像は瞬時に世界中を廻り、事件に対する反応もすぐに返ってきた。テロの恐さとテロに対する憤り、どのように反応したらよいのかという戸惑い、いつかこうなる事はわかっていたという冷たい反応、関係ないという人。一方、テロリストに対する賞賛、歓喜…と反応は様々であった。
アメリカではにわかに愛国心が高まり、至るところに星条旗が掲げられた。テロに対するやるかたない憤りの矛先はテロリストばかりではなく、アメリカに住むアラブ系の人達、イスラム教の人達にも向けられた。やがてテロの首謀者とみられるウサマ・ビンラディンをかくまっているアフガニスタンに対しての米軍の攻撃が始まった。方や超近代的兵器を駆使し、方や骨董的兵器と、まるでゴリアテとダビデのような戦いだ。
戦いに居場所を奪われ、国を追われるアフガニスタンの難民は日毎に増え、数年来の飢饉もあいまって悲惨な状況だ。

ぜ人は争うのだろう。どちらも自分達の正当性を主張し、正義は必ず勝つとアピールする。しかし、背後では多くの犠牲者が新たに生まれているのだ。戦争で一番被害を受けるのはいつも老人・女・子どもといった社会的弱者なのだ。いったい何が正義なのか。やがて首謀者が捕らえられ、テロリスト集団が壊滅したとしても、果たしてそれで終わったと言えるのだろうか。戦争は終わっても、戦争によって又新たな憎しみが生まれているのだから。

書にはこう書かれている。「憎しみは争いをひき起こし、愛はすべてのそむきの罪をおおう」(箴言10:12)
どこまでいってもきりがないこの争いに終止符を打つのは愛しかない。愛は愛する相手に関心を持つ。私達は自分以外の人にどれだけ関心を持ってきただろうか。貧しい人、飢えている人、病んでいる人、自由を奪われている人、人として当然与えられるべき権利を奪われている人・人・人に。無関心こそ憎しみを生み出す工場だ。富と繁栄を目指して、いつの間にか恐ろしい工場を作っていた事に気付かないでいたのかもしれない。

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