2010年5月11日, 火曜日

『地の塩、世の光』

日、新潮社の方から季刊誌へのアンケート記事を依頼された。この編集者の方が私の音楽ファンの一人であった。新潮社が出版している季刊誌「考える人」で「初めて読む聖書」という特集が組まれ、その中に33人の作家、エッセイスト、哲学者、評論家などに混じってミュージシャン、牧師として私の名が上がったのだ。「最も印象に残る聖書の言葉」を400字でまとめるという依頼だった。私はイザヤ書43章の「私の目にあなたは高価で尊い」を選んだ。旅行から帰ると出来上がった本が届いていた。早速読んでみたら興味深い事がたくさんあった。依頼を受けた時には深く考えもしないで引き受けたのだが、日本でキリスト教が広まらない一因を感じさせられた気がした。確かに聖書はクリスチャンであるか否かに関わらず多くの人に読まれているのだ。しかし、多くの場合は信仰の書としてではなく教養として読まれているのだという事をあらためて教えられた。多くの人が学問として聖書に向かっているのだ。それに比べ自分は何と素直に聖書を信じられたのだろうと思った。
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う一つは折角のこういった特集にクリスチャンの出番が少ないと言うことだ。これはひとえにクリスチャンの社会的な影響力が乏しいことを表しているのではないだろうか。教会という同信の集まりの中で、輝きを競い、塩気を発揮する事に満足してはならない。だから教会は居心地が悪くなるのだ。お互いが相手の目の中の塵を探している。だから魅力がないのだと思う。
イギリスではテレビのコメンテイターとして牧師が登場する事があるという。日本とは大違いだ。

日、4年ぶりに休暇をとって娘のいるロスアンジェルスに行ってきた。帰る前日の夜に娘の家の隣人からお茶の誘いを受けて楽しい交わりの時を持った。その方はヨルダン人のクリスチャンだった。ヨルダンでは10%のクリスチャンがいるのだという。ヨルダンでは少数派だがクリスチャンはしっかりと地の塩、世の光となっているという。日本のクリスチャンも少数派だが地の塩、世の光となっていると高々と言える日が早く来てほしいものだ。
初代教会は使徒2:47にあるように「すべての民に好意を持たれ」ていた。それは教会が社会に対して閉ざされたところではなく開かれたところであったということだろう。社会との関係を持っていなければ好意を持たれることもないはずだから。たった400字ではあるけれど、これが開かれた事が大きいのだと思っている。

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