2005年11月24日, 木曜日

『荒野の26年間』

051124.jpgメリカ村のあった狭山市へは、都心から西武線に乗って約1時間かかる。この都心からの距離が私には都合が良かった。私は都会派と思われているが実はアウトドア派なのだ。アメリカ村では庭を耕して菜園を作ったりもした。しかし都会暮らしの楽しさも知っているので、完全な田舎暮らしは出来ない。

会の生活は常に何かに流されているようだった。家で過ごす時間がほとんどなく、常に外出しているか、誰かが訪ねてくるかで、生活は人に左右される事が多かった。自分の生活のペースを守るという点ではこの1時間の距離は適当な砦になってくれた。遊びに来るといってもなかなか来られるものではないし、出かけるのも決心がいる。また池袋発11時の終電に間に合わなければ帰れない。以前は付き合いで深夜になる事が多かったが、終電の時間があるのは断りの良い口実になっていた。

のアメリカ村での暮らしの中で私はクリスチャンになった。それに伴って「日曜日は教会へ」というそれまでとは違う教会中心の新しい生活パターンが生まれた。ミクタムを始めてからは極貧の生活をした事もある。教会を中心に、礼拝を第一にという、信仰をベースにした仕事をするようになって、経済的な試練を味わった事も。電気を止められて蝋燭で過ごした事、食材を買うためのお金がなくて畑に捨ててあった人参をもらって食べた日々もあった。しかし悲壮な日々を送ったというのではなかった。それはそれで今になれば楽しい思い出になっている。家族がいた事と信仰と1時間のクッションに支えられた。このクッションがなければもっと惨めになっていたかも知れない。出エジプトしたイスラエルの民は1週間もあれば行く事が出来た約束の地に入るまで、40年間の荒野を通らされた。しかし荒野は約束の地に入るための必要な教育期間だった。

ジプトで染み付いた生き方は約束の地では相応しくなかった。荒野はイスラエルの民にとって約束の地で神に信頼して生きるための学校であり、訓練の場であった。私のアメリカ村での26年も恵みに満ちた荒野だったのだと思う。

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