2001年2月15日, 木曜日

『一つの民』

chus_0102.jpgが家の「今年の十大ニュース」のトップが決まってしまった。たぶん私にとってこれより大きな出来事はないと思う。いつかはこの日が来る事を覚悟はしていたが、ついにその日が来てしまった。一人娘の結婚である。娘から告白された時には、ついに来たかと思った。相手はアメリカの黒人アーティスト、クリスチャン青年である。自分の中に人種差別の意識はないが、アメリカ社会の中で黒人の立場は決して平等ではない事を私は感じていた。昔、ヘアーというミュージカルに出演していた時、一緒だった3人の黒人と親しくしていた。ある日、彼らと外に出てタクシーに乗ろうとしたが乗車拒否にあってなかなかつかまらなかった。そのうちに彼らは自分達のせいで乗車拒否されているのだと言って泣き出してしまった。私にはそうでないことが分かっていたが、その時彼らの心を見た思いがした。1970年、アメリカでは平等政策が打ち出され黒人と白人に別れていた学校の統合が行われ各地に暴動が起きていた時期であった。それから30年経った今でも実際にはまだ偏見や差別が残っている。悲しい事だが教会の中でさえそれを感じる事がある。

には二人の歩む道が決して楽ではない事が想像出来るからこそ複雑だった。私は娘に正直に自分の思っている心配を話した。それでも彼女の気持ちは変わらなかった。孤児院で育った彼は幼い時から自分の父親を知らないという。パパに彼のお父さんになって欲しいと言われて、自分に息子が出来るのだと思おうと覚悟を決めた。
私達夫婦が教会の聖会でハワイに行く日程にあわせて娘はちゃっかりと日取りを決めてしまった。娘が、パパは司式をする、それとも花嫁の父がいい?と聞いてきた。私は少し考えて花嫁の父を選んだ。娘の依頼に応えて友人のウエイン・コデーロ牧師が司式を引き受けてくださった。それまでお裁縫なんかした事がない娘が、結婚式の費用を少しでも安く上げようとして自分でベールを作った。その日、ハワイは私の心を代弁するかのように朝から雨が降っていた。けれども私は多くの人が期待していたようには泣かなかった。娘を失うのではない、息子が与えられるのだと言い聞かせて…。

、私の家で純粋に日本人と言えるのは私一人だ。妻は中国とのハーフ、娘は四分の一中国、息子はアフリカ、南米、白人の血が混ざっている。やがて生まれる孫は何カ国人になるのだろう。その頃には人種の差別や偏見は死語になっているだろうか。世界がキリストの十字架によってひとつの民となる日が一日も早く訪れて欲しい。

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